脳梗塞ヘルパー

脳梗塞ヘルパー

退院後の生活その2

実家での生活はやはり窮屈だった。

片麻痺ということもありスムーズに家事がこなせない。

失敗は付き物で洗濯機の水をホースで汲み上げると持ってる左手のコントロールが効かず水をこぼしてしまったり料理ではじゃがいもの皮むきが一番苦手だった。

大体ピーラーを使うと思いますが左手指に力が入らないので落としてしまう。

なので私は包丁での皮剥きの方がやりやすい。なぜなら右手親指も添えられるからだ。

と、色んな家事をしていく中で失敗も相当していくし工夫することも覚えていった。

ハムの包装もメーカーによっては剥がしにくかったりしたのでつい歯を使ってしまうことも。

ツナ缶は左指爪を引っ掛けたら簡単に開くが最初の頃はツナ缶は絶対開けられないと思っていた。

左で強く押さえて切らないといけない物は難しかったし、特に鶏肉のようにグニュグニュ切るときに動いてしまうものは割と難しいので半冷凍にして切ると楽。

卵は右手だけで割る練習もして出来るようになったけど、殻が入りやすい。

片手だけなので要領が悪い分時間はかかってしまうこともしばしば。

でも料理は好きだったので毎日した。

元々力も強い方だったので重い物は左は下から支えれば持てた。

日常生活動作に関しても問題はなかった。

ペットボトルの蓋も左で強く持っていれば開けれるけど、いろはすみたいな柔らかいボトルは潰してしまいがちなので、気をつけて開けるようにしている。

自分の事でいまだに出来ない事は‥

右手の爪切りくらいじゃないかな。

これに関しては娘に切ってもらう事が多い。

リウマチ用の柄の長い爪切りがあるらしいけど、安くないみたいで、購入には至ってない。

脳梗塞発症前も発症時もその後も私は喫煙をしていたから退院時に主治医から禁煙は必ずするように言われたんだけど、逃げ場がタバコだったから辞めれなかった。

収入源もないのに、嗜好品だけは欠かさず買う人っているよね。どこから捻出してるんだって思うけど、そうゆうお金は意地でも何とかするんだよね。私の場合車を売った僅かなお金と親から借金して凌いでいた。傷病手当てが入るまではできるだけ子供にかかるお金もここからやりくりしていた。

肩身の狭い生活ながら私は実家を出て子供と生活する為に生活保護の申請をするしかなかった。両親にもこれ以上迷惑かけたくない気持ちも強かった。

先の見えない生活、今後どうなるか分からない体の回復具合に、どうしようもない不安に襲われた。

大体の事は出来て日常生活に困っていないなら

いいんじゃないかって思う人もいるかもしれないが、

自分の左手じゃない感覚をコントロールするのに時間はかなりかかった。

力が入らないのに無理やり力を入れようとするので変な方向に指が曲がって、変形してしまっているし、手首は可動域が狭くなってきて筋肉も固くなっていきました。

それでも左手を使ってあげないと本当に動かなくなってしまうので、できるだけ左手を使うようにしました。よくあるのが片麻痺の人で、手をグーにして胸の下に置いている形、こうなると一生使えなくなると思ったので、何をするにも左手を参加させるよう心がけた。戸を閉めるだったり軽い物なら持ってみるだとか、

できそうな事はやってみた。

出来ないと決めて自分に限界を作ってしまう事はしないようにしようと決めていた。

するとこんな左手でも出来ることは無数にある事に気づけて自分の自信にも繋がる。

生保の申請はすんなり通り実家の近くで子供が転校しなくていい距離にアパートを借りた。

かなりボロボロの平屋で汲み取り式のトイレだったけど、私にとってようやく誰にも迷惑かけずに生活ができるという喜びの方が大きかった。

実は実家で母親の軽四を何度か運転した事もあった。右手だけで、ハンドル捌き、左手でもゆっくりならシフトをおろせた。だからひとまず

免許の返納もしない事にした。