脳梗塞ヘルパー

脳梗塞ヘルパー

長女の入院

アパートに3人で住むようになってすぐに長女の持病が再発した。

長女はネフローゼという腎臓の病気があった。

不治の病らしく特効薬がないので、普段の食生活には気を使わないといけないのに、ずっとそれどころじゃなかったので、気にかけてやれなかった事を悔やんだ。

診察したところすぐに入院になってしまった。

おそらく再発だと察した私は入院セットを纏めて娘とタクシーに乗り込んでいた。

足もないので、再々の行き来も面会も難しくなるので困ると思った。

最低でも1ヶ月の入院。小学四年生の子供には孤独できついはず。

ただこの子は小さな頃から一緒に修羅場を乗り越えてきた事もあって気丈な事が救いだった。

わたしが脳梗塞で、入院したその日帰らない夜も次の日の朝も冷蔵庫のある物で、飢えを凌いでいたらしい。と言っても炊飯器の残りご飯にふりかけをかけて食べたり、魚肉ソーセージやチーズなど、火を使わなくても食べれる物を妹と食べていたと後から知った。

私が脳梗塞発症前も近所のお祭りに子供だけで行った際に、妹が緑色のジュースを欲しがったけどお金が足りなくて、長女が自分のお小遣いを出して買ってあげた事があった。

2人共300円づつしか持っていなかったから

確実にそれだけで2人共お金がなくなってしまっただろうと思う。

そんな話を後から聞くと胸が締め付けられる。

長女は気丈な子だったけど、妹の方は情緒不安定になってしまった事もあった。

それは実家に住んでいた頃、夕方わたしがタバコを買いに歩いて近所の自販機まで歩いて行こうとした時、30Mくらい歩いた頃だろうか、後ろから泣き喚く声がする。「その人を誰か捕まえて下さい!その人は泥棒です!お願いします!」と言いながら泣きながら追いかけてくる。

つまりは私がどこかへ行ってしまうんじゃないかと思って咄嗟に思いついた手法だったんだと後から思った。

仕方なく一緒にお店まで行き駄菓子を買ってまた実家に戻った。

 

それ以来、次女は小学2年生にして登校拒否を繰り返すようになってしまったのだ。

 

次女にどうして学校に行きたくないのか聞くと、学校に行っている間に母さんが居なくなるかもしれないから

と言う応えに私は驚いた。

確実に私のせいだった。

それでも私は次女を学校へ行かせるのに毎日悪戦苦闘した。

それ以上に親子3人の生活は凄く楽しかった。

裕福ではなかったし、周りの一般的な家庭とは比べるに至らなかったけど、これまでの来るしかった日々を思えば子供達と毎日居る事の生活はこの上ない喜びだった。

長女は結局1ヶ月半入院し、数値も落ち着いたので退院できる事になったが、これからは毎月の通院と、またいつ再発するか分からない不安があった。