脳梗塞ヘルパー

脳梗塞ヘルパー

再出発

丁度この頃申請していた傷病手当てが降りたので、それで20万くらいの安い車を買う事にした。

私は生活保護だったので、車は財産とされ所有できないので、少し生活が落ち着き慣れたら、

生活保護も打ち切ろうと思っていた。

傷病手当てと、パートで生活したいと考えていたけど、不安もそれなりにあった。

私にはヘルパー二級の資格しかないので、

老人介護の仕事をまたしたいと思っていたし、それしか出来る事がないと思っていたんだけど、やっぱり他人の手助けをする仕事に今の自分が関わって良いのか、逆に心配されたり遠慮されるようでは本末転倒なので、調理は毎日して感覚を戻していき、

身体介護はイメトレを沢山した。

力は元々あるので、指先を重視しない腕での作業は出来そうな気がしていた。

 

車の運転も左側空間無視が怖かったけど私の場合症状は強くなかったようで、運転も問題なくできた。自分のペースで出来て、ゆっくりと利用者さんと向き合う訪問介護から始めてみようかと漠然と考えるようになりました。

介護業界は高齢社会で人手が足りない事もあり

資格さえあれば即日採用された。

子供達が小学校に行っている間だけでも働いて、足りない生活費はまだ生活保護に頼った。

仕事をする上で車は必要不可欠だったので、市の担当者からは認められたので良かった。

今は普通に子供達と当たり前に暮らせる当たり前の毎日が幸せだった。

一時期は住まわせて貰っていた知り合いと折り合いが悪くなり出たはいいが宿泊先に困り川の近くのコンテナで一夜を明かした夜もあった事を思い出す。

真夏で、大量の蚊に体中噛まれて痒がっていた次女を夜な夜な近くの工場の洗い場に連れて行って気休めに身体を洗ってやった。

翌日、道端で空き家紹介のポスターを見てすぐに不動産会社に連絡し、すぐに内覧をお願いして、その日のうちに契約した。

生活用品も何もないから自転車で長女と100円均一に行って台所用品とかを袋一杯買って帰る途中、袋が破けて、道にぶちまけたな笑

結構遠かったからアパートで、待つ次女は帰ったら泣いて抱きついてきた。住み慣れない場所に1人きりは怖かったと思うけど、あの時はとにかく必死だったから、生きる事に‥。

過去を悔やんでいても仕方なかったので、

これからは1日も早く病気前のような生活に戻すところから始めなくては。

職場では病気の事については自ら言いたくなかったので、聞かれたら言おうと思っていた。

言うと心配されたり、仕事を制限されたりするかもしれないと思ったし、自分からしたらこれくらい大した事ないと思っていたから同情されたくない気持ちが強かった。

仕事をするうちに分かったのだが、

恐らく、脳卒中のもう一つの後遺症に気づき始めていた。

注意力の低下や、判断ミス

物忘れ、メモをマメに取るなど、自分なりに注意しないとうっかりする事が何度かあるのだ、

高次脳機能障害

例えばお年寄りの服薬の確認

日付け間違いや、服薬忘れなど絶対にあってはならない事もこの仕事には多かった。

利用者の体調の把握や引き継ぎなど忘れてはいけない事は早めに準備しておく、目も書きをわすれないなど、ジブなりに工夫するようにした。

携帯電話のスケジュール管理も利用し、予定近くなると通知が来るようにしたり、

ここ3年くらいはSiriも活用し、仕事中にタイマーをかけたりしながら、やるべき事を忘れないようにしている。

何度か訪問先の訪問忘れはあったものの、大事に至るような事は幸いなかった。

訪問忘れも大変な事故なんだけども‥。

スケジュール管理を徹底してからはそれもなくなっていった。

とにかく何でもメモメモ📝

車内には付箋貼りまくり。

退室時の確認作業は3回はするのは当たり前。

なので、時間内に終わらない事は私のメモや確認の時間なんで、納得のうち。